次のように言われています:この地上の井戸が含んでいた「これらの水から飲む人は誰でも、再び渇く。しかし、イエスが与える諸々の水から飲む人の内には、永遠の命へと湧き上る水の泉が生じるだろう[1]」と。さらに福音の他の箇所には、泉も井戸ももはやなく、それ以上のことが言われています。「彼を信じる人は、()文書が言っているように、彼の腹から、命の水の諸々の川が流れ出る[2]」と。ですからあなたは、ご覧ください:彼を信じる人は、単に井戸を持つばかりでなく、諸々の井戸を持ちます。単に諸々の泉ばかりでなく、みずからの内に諸々の川を持ちます。しかしそれらの諸々の泉と諸々の川は、この死すべき命を楽にするものではなく、永遠の命をもたらすものです。

 したがって、私たちが提示した『箴言』に書かれている諸々の事柄――そここでは、泉とともに諸々の井戸が言及されています――に従えば、神のみ言葉が井戸として理解されねばなりません――もしもそれが、何らかの深遠な神秘を隠しているとすれば――。また(神のみ言葉は)泉として理解されねばなりません――もしもそれが民のために溢れ出て、流れ出すとすれば。



[1] Jn.4,13-14.

[2] Jn.7,38.

 

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