しかしながら、私たちの魂の内にある諸々の井戸は、井戸掘り人を必要とします。なぜなら、それらは清められる必要があり、土的なものがすべて、それらから取り除かれる必要があるからです。それは、神が魂に挿入した諸々の理性的な思考の数々の水脈が、純粋で誠実な諸々の流れをもたらすようにするためです。実際、土が諸々の水の諸々の水脈を覆い、流れを遮る限り、純粋な水の流れは出ません。それで次のように書かれています:「アブラハムの僕たちは、諸々の井戸を掘った。しかし、ペリシテ人たちは、それらを土で満たし、隠した[1]」。しかし、父の遺産を受け取ったイサクは、「再び諸々の井戸を掘り、ペリシテ人たちが妬みによって諸々の水に投げ込んだ彼らの土を取り除いた[2]」と。実際、私たちは、この物語が取られたと思われる『創世記』の中に、次のことを見出しています:すなわち、アブラハムが生きている間、ペリシテ人たちは諸々の井戸を敢えて埋めたり、それらの中に土を投げ込もうとしませんでした。ところが、彼がこの世の生から去ったとき、ペリシテ人たちは力をつけ、彼の諸々の井戸に陰謀を企てました。しかし、それらは後に、イサクによって回復され、その本らの状態に戻りました。



[1] Gn.26,15.

[2] Gn.26,18.

 

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