10 シホンの国については、生きている人はひとりも残されてはならないとは書かれていません。モアブの国についても、そのように書かれていません。おそらく私たちは、彼らの内の或る人たちを必要としており、この生活の諸々の競争と諸々の訓練のために、彼らの内の幾人かを必要としているのでしょう。「さもなければ、私たちはこの世界から脱出せざるを得なかったでしょう[1]」。ところがバシャンについては、すなわち、破廉恥については、私たちは誰をも必要としませんし、その町から何も残すべきではありません。すべては切り倒され、破廉恥のすべての業は覆されねばなりません。なぜなら、いかなる人の内でも、破廉恥なものは誠実なものになり得ないからです。



[1] 1Co.5,10.

 

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