11 「そしてイスラエルの子らは、そこから前進し、モアブの東、ヨルダン川の近く、エリコの対岸に、諸々の宿営地[1]を置いた。そして、ツィポルの子バラクが見たとき」云々とあります。バラムと彼のロバについて書かれているすべての事柄は、数々の厄介な事柄に満ちた歴史です。しかし、内的な理解はさらに厄介です。歴史的な諸々の見解さえ述べるのが簡単かどうかも、私には分かりません。しかし、神が恵んでくださるなら、私たちはにできる限りで、手短に触れてみることにしましょう。



[1] 原語は、castra 。それは、「諸々の陣地」とも、「諸々の宿営施設」とも、「諸々のテント」とも訳せるが、訳者(朱門)は、一貫して「諸々の宿営地」と訳している。本文の訳語が意味不明であれば、その都度、それらのいずれかに置き換えてもらいたい。

 

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