17 しかし、王をもっと強力に動かしたものが他にあると、私は思います。彼は、イスラエルの子らがたいてい、諸々の敵を諸々の武器によってでなく、祈りによって打ち負かし、鉄によってでなく諸々の祈願によって打ち負かすのを聞いたように見えます。実際イスラエルは、ファラオに対していかなる武器も思い起こしませんでした。その代わり、次のことが彼に言われています:「主は、あなた方のために戦うだろう。そして、あなた方は黙るだろう[1]」。アマレクの人たちに対しても、諸々の武器の力は、モーセの祈りほどの力はありませんでした。実際、モーセが両手を神に挙げると、アマレクは敗退しました。ところが (彼の両手が)降ろされだらりとすると、イスラエルは敗退を強いられました[2]。モアブの王バラクは、たしかにそれらのことを聞いていました。こう書かれています:「諸国の民は(それらのことを)聞き、憤った。諸々の悲痛が、ペリシテに住む人たちを包んだ。そのとき、エドムの指導者たちとモアブの人たちの司たちはうろたえ、戦慄が彼らを捉えた[3]」と。あなたは、モーセが紅海を過ぎ越したとき[4]、讃歌の中で予言したことが彼らに到来したのをご覧ください。ですからモアブの王は、この民が諸々の祈りによって勝ち、剣によらず口によって諸々の敵と戦ったこを聞いていました。それゆえ疑いもなく、彼は思いめぐらし、自分自身に言っています:この民の諸々の祈りと祈願に対しては、いかなる武器も太刀打ちできない。だから、私に対しても、彼らの諸々の祈願を凌駕することのできる何らかの諸々の祈り、諸々の言葉の武器、諸々の祈願が求められねばならないと。



[1] Ex.14,14.

[2] Cf.Ex.17,11.

[3] Cf.Ex.17,14-15.

[4] Cf.Ex.15,1-21.

 

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