22 しかし遂に、使者たちがバラムの許に来ました。実際、「モアブの長老たちとミディアンの長老たちが、占いの諸々の礼物を彼らの両手の中に(携えて)来た[1]」と(聖文書は)言っています。人間的な好奇心が編み出した占いのそれらの技術の中に、()文書が「占いの諸々の礼物」と名づけたものが幾つか存在します。異教(徒たち)の慣習は、諸々の三脚台とか諸々の鍋とかその他の諸々の呼称で(それらを)呼んでいます。それらは、このことの自体のために用立てられるとき、彼らによって動かされ、扱われるのが常です。当然のことながら神的な文書は、預言書の中で、或る物を「エフォド[2]」という原語で名づけています。それは、預言者たちの衣服であると言い伝えられています。しかしながら諸々の神的な文書にある預言と、占いは別物です。実際(神的な文書は)、言っています:「ヤコブの内に鳥占いはないだろう。イスラエルの内に占いはないだろう。然るべき時に、ヤコブとイスラエルに、神が何をするかが語られるだろう[3]」と。したがって、占いは完全に破棄されています。なぜなら、既に私たちが申したように、それは実に、悪霊たちの業と奉仕によって成し遂げられるものだからです。



[1] Nb.22,7.

[2] Os.3,4.

[3] Nb.23,23.

 

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