25 これに対して、思い浮かび得るすべての事柄を提示する必要はないにしても、私たちは、部分的に、次のように言っておきましょう:神は、「然るべき時以前に」、悪霊たちの種族を断罪することを望まないのだ、と。なぜなら、悪霊たち自身も、現在のこの代が彼らの「然るべき時」を限っていることを知っているからです[1]。それで、ともかく彼らは、「然るべきとき以前に」彼らを苦しめないように[2]、また深淵に送らないように[3]、主に懇願しています。それゆえ(主は)、悪霊から、この世の支配権を取り除きませんでした。なぜなら至福な人たちの数々の戦闘行為と諸々の勝利のために彼の諸々の業がまだ必要だからです。同様に(主は)、ご自分の予め立てた意図に基づいて、他の悪霊たちを「然るべきとき以前に」強引に排除することを望みませんでした。それで(主は)、彼らがバラムによって呼び出されることを始めから認めませんでした。それは、彼らがっ呼び出されて、「然るべき時以前に」滅ぼされ、絶やされることのないようにするためです――神がご自分の民を守ることによって。

 実に一方で悪霊は、試みるために人を神から求める場合があります――ヨブのように。そして(悪霊は)、何らかの限定付きで、彼の権能を受け取る場合があります――たとえば彼に言われています:「私は、彼のすべての持ち物に対する支配権をお前に与える。しかしお前は、彼自身に触れてはならない[4]」。あるいは、「私は彼に対する支配権をお前に与える。しかしおまえは、彼の魂を守れ[5]」と。他方で、魔術師が求め、或る諸々の呪文によって強要することによって、悪霊たちがいかなる制限もなしに荒れ狂う場合があります。もちろんこの場合には、もしも彼らに意志の自由が保たれていれば、彼らは神の民を滅ぼすでしょう。しかし、もしも意志の自由が取り除かれるのであれば、それは理性的な被造物を断罪することであり、「然るべき時以前に」裁きを下し――悪霊たちに対する戦いにいおいて奮闘して栄冠を与えられ得る――すべての人たちの前進を阻むことになったでしょう。実際、もしも悪霊たちから、意志の自由が取り除かれるなら、(彼らの)誰一人として、キリストの競技者をもはや攻撃しないでしょう。誰も攻撃しないなら、何らかの戦闘があるわけがありません。戦闘が除去されていれば、いかなる賞与もないでしょう。いかなる勝利もないでしょう。



[1] 「彼らの適時は、現世に限られる」ということ。いつものとおり、訳者(朱門)は直訳している。

[2] Cf.Mt.8,29.

[3] Cf.Lc.8,31.

[4] Jb.1,12.

[5] Jb.2,6.

 

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