さらに少し後で、町そのものについて述べられています:「それゆえ、謎掛け師たちは次のように言う:『あなた方は、ヘシュボンに来なさい――シホンの町が築かれ建設されるために。なぜならヘシュボンから火が出て、シホンの町から炎が出、モアブまで焼き尽くしたからだ』[1]」。私たちが言いましたように、シホンは王で、彼の町がヘシュボンです。ですから諸々の言葉の秩序[2]は次のように理解されるべきです。すなわち、あの謎掛け師たちは言う:「あなた方は、来なさい」。「シホンの町」であった「ヘシュボンが築かれ建設されるために」と。

ところで私たちは、この「謎掛け師たち」が誰であるかを探求しましょう。比喩的な話が謎であると言われます。ですから、比喩的に語る人たちが謎掛け師たちと言われます。しかし、「律法と預言者たち[3]」でなければ、他の誰が諸々の比喩の内に語ったでしょうか。実際、ダビデがどのように言っているか、あなたはお聞きください:「私は、私の口を諸々の例え話の内で開き、始めからの諸々の計画を語ろう[4]」。イザヤも――彼の書いた諸々の事柄は諸々の謎だったので――次のような仕方で言明しています:(聖文書は言います)「この本の諸々の言葉は、封印された本の諸々の言葉のようである。もしも、諸々の文字を知らない人間の両手にそれを渡し、彼に『あなたは読みなさい』と言っても、彼は、『私は諸々の文字を知らない』と言うだろう。しかし、諸々の文字を知っている人に渡しても、『私は読むことができない。なぜならそれは封印されているから』と言うだろう[5]」。本が封印されていると言われるのは、それが諸々の比喩によって複雑にされ、諸々の謎によって覆われているからです。



[1] Nb.21,27-28.

[2] 訳者(朱門)は、もちろん、直訳している(ordo uerborum)

[3] Cf.Mt.7,12.

[4] Ps.77,2.

[5] Is.29,11-12.

 

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