それで、あの謎掛け師たちは言います:「あなた方は、ヘシュボンに来なさい――それが築かれるために[1]」。あの最初のヘシュボンは、倒れました。いやむしろ破壊され、放火されました。別のヘシュボンが再建されねばなりません。しかし、それはどのようにして為されるべきでしょうか。私たちは例を挙げて示してみましょう。もしもあなたが、異教徒が生活の恥辱や宗教の誤りの内に置かれているのをみるなら、あなたは彼について、彼は、シホン王の王国にあるこのヘシュボンであると言うのをためらわないでしょう。なぜなら彼の諸々の思いの内には、実りのない思い上がった王が君臨しているからです。もしも彼に、イスラエルすなわち教会の子が近づき、神の言葉の数々の槍を当て、彼に対して「霊の剣」を貫き[2]、彼において異教徒たちの諸々の教義に由来するすべての砦を破壊し、彼の数々の主張の思い上がりの数々を真理の火によって焼き尽くすなら、あなたは彼について、シホンの町ヘシュボンは滅ぼされたと言うべきでしょう。しかし、彼の内で異教徒たちの諸々の教義が破壊されましたが、彼はそのまま見放され、見捨てられるのではありません。実際、イスラエルの子らの規律では、彼らが破壊した諸々の町を破壊されたままにしはしておきません。むしろ彼らは、人間の内で諸々の悪い思いと数々の不敬虔な理解を滅ぼし破壊すると、今度は、彼らが破壊した彼の心の中に、諸々の善い思い、諸々の敬虔な理解、真理の教えを挿入し、宗教の祭儀を伝え、生き方を教え、諸々の品行の誠実さ、諸々の遵守すべき定めを示すでしょう。



[1] Nb.21,27.

[2] Cf.Ep.6,16-17.

 

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