そしてそのとき、あの謎掛け師たちは本当に、互いに言い合うでしょう:「さあ、私たちは、シホンの町だったヘシュボンを建設しよう[1]」と。なぜなら彼らは、すなわち教会の子らは、律法の諸々の象徴と諸々の謎を霊的に理解しますので、謎掛け師たちと呼ばれるからです。それは、エレミヤが、やはり象徴的な言葉で示していることでもありす。主によって彼に次のことが言われています:「見よ、私はあなたの口の中に私の諸々の言葉を与えた。見よ、今日、私はあなたを諸国民と諸国の上に立てた――根扱ぎ、覆し、再建し、再び植えるために[2]」。(主は)何を根扱ぎにし、何を覆すのでしょうか。シホン王の町だったヘシュボンの町です。その町の中で何を根扱ぎにし、何を覆すのでしょうか。諸々の不敬虔で不純な思いです。その町の中で何を再建し、何を再び植えるのでしょうか。諸々の敬虔で純潔な思いです。なぜならヘシュボンはアモリ人たちの町になるのではなく、イスラエルの子らの町になるからです。



[1] Cf.Nb.21,27.

[2] Jr.1,9-10.

 

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