では、「バシャン」が何であるか、私たちは見てみましょう。バシャンは、「破廉恥」と解釈されます。ですから、代表者たちがその民に派遣されず、その土地の過ぎ越しが望まれなかったのは当然です。実際、私たちには(そのような)いかなる過ぎ越しもあるべきではなく、破廉恥へのいかなる接近もあるべきではありません。それは、初めから直ちに攻撃されるべきであり、あらゆる仕方で警戒されねばなりません。他方、バシャンの王であると言われている「オグ」は、「障害」と解釈されます。それは、すべての肉的で物質的な諸事物の象徴を帯びることができます。魂は、それらの事物への愛と欲に囚われると、神から排除され、引き離されます。ですから彼らに対してなられるべき戦いは、次のように定められています。すなわち、「あなた方は、そのこから生きている人を残してはならない[1]」と(聖文書は)言っています。実際、イスラエルの子らの誰一人として、破廉恥と不名誉の王国の中に生きたまま残されるべきではありません。むしろ、イスラエル的な徳が諸々の恥辱を切り倒し刈り込み、あらゆる敬虔な事柄を魂の中に再建し、誠実で宗教的な諸々の事柄を植えるべきです。



[1] Nb.21,35.

 

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