12 ですから私たちは、邪悪が私たちの内に一度たりとも見出される事態をあらゆる仕方で避けねばなりません。他方、他の人たちにおける邪悪を――滅ぼすように努めるべきではないとしても――克服しなければなりません。なぜなら、邪悪がある人たちも、全体のために必要な業の何がしかをもたらすからです。実に無駄なものは何もなく、神の許で無益なものは何もありません。なぜなら彼は、人間の善意を諸々の善のために使うばかりでなく、悪意をも諸々の必要な事柄のために使うからです。しかし、この(世の)人生の全体があなたに由来する何がしかの善のおかげであることが、あなたの内にある諸徳によって明らかになれば、あなたは幸いでしょう――使徒ペトロが次のように言っている人たちと同様に:「あなた方が、命の言葉を保ちつつ、この世の中で諸々の灯火になるために[1]」と。ですからこの世界の栄光のために諸々の灯火が必要です。世界を照らす太陽と月の業以上に何が喜ばしいでしょうか、何が輝かしいでしょうか。



[1] パウロ書簡『フィリピ』(2,26)にこの言葉の一部に対応する語句(命の言葉をしっかり保つでしょう)が見出されるが、オリゲネスの勘違いか、ペトロに関する別の資料(口頭伝承)によるかは不明である(盗用厳禁)。

 

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