17 しかし次に、寓意について幾らか触れておくのが適切でしょう。このバラムは、空しい民と解釈されますが、ユダヤの民の「律法学者たち」や「ファリサイ派の人たち[1]」を代表しているように私には見えます。他方、バラクは、排除や搾取と解釈されますが、彼自身は、この世の敵対する権能――イスラエルを、ただし「肉による」のではなく、「霊による」イスラエル[2]を排除し搾取しようと欲する権能――の諸霊の一つを代表すると理解されるべきです。この敵対する権能は、霊的なイスラエルを亡きものにし、完全に滅ぼそうと望んでいますが、大祭司たちと律法学者たちとファリサイ派の人たち以外の者たちを利用しません。彼は、彼らを招き、彼らに報酬と賞与を約束します。彼らは彼らで、そのバラムが行ったのと同じように、万事を神に帰し、神の熱意によって行動しているように見せかけています。彼らは言います:「あなたは諸文書を調べてみなさい。そうすれば、ガリラヤから預言者が立たないことが分かるだろう[3]」。さらに、「私たちは律法を持っています。彼は律法に従って死ななければなりません。なぜなら彼は、自分を神の子にしたからです[4]」と言っています。それら一つひとつのことによって、「律法学者たちとファリサイ派の人たち」は、神の熱意を持っているように見えますが、見せかけの熱意を持っているだけです。



[1] Cf.Mc.7,5.

[2] Cf.1Co.10,18.

[3] Jn.7,52.

[4] Jn19,7.

 

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