しかしさらに、歴史それ自体の説明において困難なことは、次のことはどうして(両立するの)かということです。すなわち、神はまず、夜に「バラムの許に来て」、「彼の所に来た人々が誰であるか」を尋ねたとき(聖文書で)、バラムは、「ツィポルの子バラクが、『来て、私のために民を呪ってもらいたい』と言わせるために遣わした人たちである[1]」と答えた。さらに、神は彼に「あなたは彼らと共に行ってはならず、民に呪いをかけてはならない。なぜなら民は祝福されているからだ[2]」と答えたと(聖文書で)言われています。第二に、次のことが(聖文書で)言われています:「神は夜に彼の許に来て、『彼らと共に行きなさい。ただし神が彼の口の中で与える言葉を語るようにしなさい』と言った[3]」と。さらに第三に(次のことが言われています):神のみ使いが、前進していくバラムに立ちはだかりました。彼の道行きは、み使いにとって、優美なものにも好機を得たものにも見えなかったので、み使いは彼を殺そうとしました――もしも「ロバが、バラムには見ることのできなかったみ使いを見て飛び退か[4]」なかったすればと。しかし、彼がみ使いによって、どうして行こうとするのかと咎められた後で、今度は、彼によって行く許しが与えられました――ただし、「神が彼の口の中で与える言葉だけを表明し、余計なことは何も表明しないことを守るならばということで[5]。このよなわけで、それらすべてのことは、説明するのが困難です。しかし、既に私たちが申しましたように、簡潔にですが、理解するための諸々の機会をあなた方に与えることにします。それはあなた方も、(聖文書に)書かれていることを行うようになるためです。こう書かれています:「それらの事柄を聞けば、知恵ある人は、さらに知恵ある人になる[6]」、「私は知恵ある人に、彼がさらに知恵ある人になる機会をあたえる[7]」。



[1] Nb.22,9-11.

[2] Nb.22,12.

[3] Cf.Nb.22,20; 22,35.

[4] Nb.22,23-30.

[5] Nb.22,35.

[6] Pr.1,5.

[7] Pr.9,9.

 

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