同様に、悪魔についても私たちは、たとえば何らかの必然によって彼が罪を犯さないように強いられたと考えてみよう。あるいは罪の後で、邪悪の意思が彼から取り去られたと考えてみよう。そうすると同時に、悪魔の悪賢さに対する戦いも私たちから取りされられてしまうでしょうし、合法的に戦った人に勝利の栄冠が期待されなくなるでしょう[1]。私たちに敵対するものたちを私たちが持たなければ、戦いはないでしょうし、勝利者たちへの数々の褒章も考えられないでしょう。また、諸々の天の国も、勝った人たちに準備されないでしょうし、「私たちの艱難のこの軽微な瞬間が、将来に、私たちのために度を越えた栄光の重みをもたらす[2]」こともないでしょう。私たちの内の誰かが、諸々の艱難の忍耐と引き換えに、数々の将来の広大な栄光を期待することもないでしょう。



[1] Cf.2Tm.2,5.

[2] 2Co.4,27.

 

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