民数記第十五講話

バラムの預言について

 

 朗読された諸々の朗読箇所の順序は、朗読師が読み上げた諸々の箇所について私たちが述べるように求めていますが、兄弟たちの幾人かがバラムの預言について書かれた諸々の箇所を議論の言葉に加えるように切望していますので、私は、聴衆の諸々の願いを満たすのと同程度に、諸々の朗読箇所の順序を満たしませんでした[1]

 何よりも先に、バラムその人について、私たちは問わなければなりません:なぜ諸々の()文書の中で、彼はある時は非難に値するものとされ、ある時は賞賛に値するものとされているのでしょうか。実際、彼は、非難に値しました:彼は神によって王の許に行くことを禁じられたのに、行くことに固執し、欲に駆られて報酬を考えたり、挙げ句の果てには、自分の諸々の欲の中に放置してくれるように、自分の諸々の願望のままに進ませてくれるように神に求めたからです[2]。彼は処罰に値しました:彼は諸々の祭壇を建て、悪霊たちのために諸々の生け贄を捧げ、呪術的な仕掛けによって諸々の真意を求めたからです[3]。彼は処罰に値します:彼は、モアブの女性たちと諸々の偶像の崇拝によって民が欺かれるように勧告を与えたからです[4]。他方で彼は、賞賛に対するものして示されます:彼の口の中に神の言葉が置かれ[5]、「神の霊が彼の上に臨み[6]」、キリストの到来に関する将来の諸々の神秘をユダヤ人たちと諸国の人たちとに予言し、諸々の呪いに代えて諸々の祝福を民に施し、諸々の神秘的な言葉をもって、イスラエルの名を可視的な栄光を超えて高めたからです[7]



[1] 愚かなまでに直訳している。もちろん原文は、「私は、諸々の朗読箇所の順序を守るよりも、長州の諸々の願いを叶えることにしました」と訳されるべきだろう。

[2] Cf.Ps.80,13.

[3] Cf.Nb.23,1-3.

[4] Cf.Nb.25,1-3; 31,16.

[5] Cf.Nb.23,5; 23,16.

[6] Cf.Nb.24,2.

[7] Cf.Nb.24,16-19.