13 「誰がヤコブの種を調べるだろうか。誰がイスラエルの人々を数えきるだろうか[1]」とあります。これは、次のように書かれていることと似ています:「神は、アブラハムを外に連れだし、彼に言った:『あなたは、天を見て、諸々の星を数えなさい――もしもあなたに、それらを数えることができるなら』。そして、『あなたの種はそのようになるだろう』と言った。アブラハムは、神を信じた。そしてそれは、彼の義によると見なされた[2]」と。しかし、アブラハムも、人間たちの内の他のいかなる人も、さらに天使たちのいずれも、そしておそらくもっと優れた諸々の諸力のいずれも、諸々の星を数えることができませんでしたし、「あなたの種はそのようになろう[3]」アブラハムの種を数えることもできませんでした。しかし、「彼は、諸々の星の数を数え、それらのすべてを諸々の名で呼ぶ[4]」と書かれている神、「私はすべての諸々の星に命じた[5]」と言った神は、「ヤコブの種を調べ、イスラエルの人々を数える[6]」ことができます。なぜなら彼ご自身だけが、誰が真にヤコブであるか、誰が真にイスラエルであるかを知っているからです。実際、彼は、「外見上のユダヤ人」を顧みませんし、「肉における外見上の割礼[7]」を顧みません。彼は、「内面におけるユダヤ人」、「肉にではなく心に割礼を受けた人[8]」を見ます。ですから彼ご自身だけが、数えきり、調べることができます。彼は、ご自身の曰く言い難く把握しがたい知恵に従い、彼だけが知ることのできる天の計画に合わせて、私たちが両手に持っているこの『諸々の数[9]』をも定めました。この『諸々の数』の中で彼は、「各自の諸々の親族ごとに、各自の諸々の家族の諸々の家ごとに、二十歳以上のすべての男子、イスラエルの軍隊の内に歩むすべての者は、諸々の頭ごとに名前によって数えられなければならない[10]」と命じました。そして、彼らの或る神聖な数が集計されます[11]。それについては、私たちは既に、主がお許しになるままに、語りました[12]。しかしこの数が、神聖で、主のお気に召すのは、彼が命令することによって数えられる場合に限られます。もしも誰かが、主の命令に反して数えようとするなら――彼がダビデであろうと、偉大な預言者であろうと――、彼は律法に反しており、預言者によって非難され、『サムエル記』の第二書で書かれているのを私たちが読むあの諸々の出来事を被ります[13]。ですから「諸々の星の数を数える[14]」方、「すべてのものを大きさと数と重さにおいてもたらした[15]」彼だけが、「ヤコブの種を数え、イスラエルの人々を数えきります[16]」。



[1] Nb.23,10.

[2] Gn.15,5-6.

[3] Gn.15,5.

[4] Ps.146,4.

[5] Cf.Is.45,12.

[6] Nb.23,10.

[7] Rm.2,28.

[8] Rm.2,29.

[9] 通常は、『民数記』と訳す。

[10] Cf.Nb.1,2-3.

[11] Cf.Nb.3,39.

[12] 『民数記第一講話』をさす。

[13] Cf.2S.24,1s.

[14] Ps.146,4.

[15] Cf.Sg.11,21.

[16] Nb.23,10.

 

次へ