そこで彼は言います:「主が呪わない者を私がなぜ呪うのか[1]」と――私たちは、接頭辞の付加によって言葉の意味を明らかにしたく、ギリシア語の理拠に従って「(主が)さらに呪う」という言葉を採用したい[2]。では、私たちは何を言っているのでしょうか。もちろん主は、ヤコブを呪うのではもなく、イスラエルを呪うのでもありません。それともあなたは、(主が)他の誰かを呪うとお考えですか。私たちは、主が蛇に向かって次のように言った言葉が書かれているのを読みます:「あなたは、大地のすべての獣たちの中で呪われるものとなった[3]」と。さらにアダムに向かって:「大地は、あなたの諸々の業の中で呪われた[4]」。また、カインに向かって「あなたは、あなたの両手からあなたの弟の血を受け取るために口を開いた大地によって呪われた[5]」。「彫像や塑像を作ったすべての者は呪われる[6]」と。しかし、それらの事柄は旧約の諸文書にだけ含まれるとあなたが考えることのないように、さらに諸々の福音の中にも同様の諸々の事柄をあなたは見いだすことができるでしょう。実際、主がご自分の右手にいる人たちにやがて次のように言うことが書かれています:「あなた方は、私から離れ、永遠の火の中に入りなさい[7]」と。さらに、「律法学者たとファリサイ派の人たち、あなた方、偽善者は不幸である[8]」とか、「あなた方、裕福な者たちは不幸である[9]」など、同種のことを(主が)言うときも、諸々の呪いによって彼らを圧迫しているとしか考えられないでしょう。



[1] Nb.23,8.

[2] ルフィヌスの訳注。

[3] Gn.3,14.

[4] Gn.3,17.

[5] Gn.4,11.

[6] Dt.27,15.

[7] Mt.25,41.

[8] Mt.23,29.

[9] Lc.6,24.

 

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