12 そこであなたは、それらの三つの脅迫において、どうして神が、「三日間の死[1]」について言っていないのかお考えください。実際、それはガドの諸々の発言の中に置かれていて、主の諸々の命令の中に置かれていませんでした。預言者によって言われた諸々の事柄は常に、神によって言われたものだとは見なされません。確かに神は、モーセを通して多くの事柄を語りましたが、モーセも独自の権威において幾つかの事柄を命令しました。主は諸々の福音の中で、妻を離縁することについて尋ねられて次のように言うとき、そのことを明白な区別の下に分けています。こう言っています:「あなた方の心の頑なさのために」、モーセはあなた方のためにそれらの事柄を書いたのであって、「しかし始めからそうだったのではない[2]」。実際、「人間を造った方は、彼らを男と女に造り、彼らを祝福して、『それゆえ人間は自分の父と母をおいて、自分の妻に寄り添い、両者は一つの肉の中にいるだろ』と言いました」。そして、「だから神が結合させたものを、人間は分離してはならない[3]」と付け加えています。ですからあなたは、実にここで、神が離婚を定めたのでも、離婚が行われることを臨んでもいるわけでもなく、「モーセの方が、ユダヤ人たちの心の頑なさのゆえに、離縁状が渡されるべきだと書いた[4]」ことにお気づきください。パウロも彼の諸々の書簡の中で、或る人たちについて次のように言うとき、それらのことを明示しています:「(それらのことを)主が言っているのであって、私が言っているのではありません[5]」。また他の人たちについて、「しかしそれらのことを私が言っているのであって、主が言っているのではありません[6]」。また他の箇所で、「私は主からの命令を持っていませんが、勧告を与えます[7]」。さらに、「私の語る事柄は、私が主に従って語っているのではありません[8]」と。



[1] 2S.24,13.

[2] Mt.19,8.

[3] Mt.19,6.

[4] Mt.19,7.

[5] 1Co.17,10.

[6] 1Co.17,12.

[7] 1Co.17,25.

[8] 2Co.11,17.

 

次へ