16 しかし、それは、すべての人たちに帰されるのではなく、諸々の功績においてヤコブとイスラエルに相当する者たちだけに帰されます――あの貧しいラザロがそうだったように。彼は、現在の生活を労苦と痛みの内に送りました。それに対して、金持ちにはこう言われています:「息子よ、思い出しなさい。あなたは、あなたの生活においてあなたの諸々の善きものを受け取った。ラザロも諸々の悪しきものを同じように受け取ったことを。しかし今、彼は安らぎ、あなたは苦しめられている[1]」と。ですから彼は、イスラエルでありヤコブです。なぜなら彼の内に労苦と痛みが訪れなかったからです。もちろん彼自身も、肉的なイスラエルである限り、金持ちでした。なぜなら彼は次のように言われていたからです:彼の兄弟たちは、「律法と預言者たちを持っており、彼らに聴け[2]」と言われているからです。彼は、霊的なイスラエルである限り、金持ちではありませんでした。それで彼の内には労苦と痛みが訪れました[3]



[1] Lc.16,25.

[2] Cf.Lc.16,29.

[3] 霊的なラザロと肉的なラザロが区別さている。肉的なラザロは金持ちで、現世において苦労はなく、霊的なラザロはその逆である。

 

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