18 「エジプトから彼を導き出した神は、彼にとって一角獣の栄光のようだ[1]」。実にあのイスラエルは、この地上のエジプトから導き出されました。それに対し、この霊的なイスラエルは、この代のエジプトから、諸々の闇の権能から導き出されました。そして「彼の栄光は、一角獣の(栄光の)ようでした」。一角獣は、その名称の意味が示す外形を持った動物であると言われます。その動物は、神的な諸々の文書の中にしばしば置かれているのを私たちは読みます。しかし特に『ヨブ』の中で、神の諸々の声によって、その(動物の)能力と力がヨブに対して明示されています[2]――それらの能力と力の中で、十中八九、キリストが示されると理解されます。また神的な諸々の文書の中で、角が国の代わりに置かれているのを私たちはしばしば見出しました。たとえば預言者は、「四つの角は四つの国である[3]」と言っています。こうして一角獣の名の下に、キリストのにおいて次のこと――すなわち、存在するもはすべて彼の角、すなわち彼の一つの国であること――が明示されているように見えます。「実際、父は、すべてのものを彼の諸々の足の下に服従させました[4]」、最後の適である死が滅ぼされるまで。そしてキリストは、「一角獣」であるかのように、すべてのものからなる一つの国を保持します。なぜなら、(聖文書に)書かれているように、「彼の国に終わりはない[5]」からです。ですから彼には、すなわちこの霊的なイスラエルには、一角獣の栄光のような栄光があるだろうと(聖文書は)言っています。実際、主ご自身がそのような意味で福音の中で言っています:「父よ、私とあなたがともに一つであるように、彼らも私たちの内で一つになるように、彼らのためにしてください[6]」。ですから、一角獣の栄光に似た栄光がイスラエルに与えられるでしょう――特に(彼が)、「私たちの卑しさの身体を彼の栄光の身体と同じ形に変容してくださる[7]」とき。



[1] Nb.23,22.

[2] Cf.Jb.39,9-12.

[3] Dn.8,22.

[4] 1Co.15,27.

[5] Lc.1,33.

[6] Jn.17,21.

[7] Ph.3,21.

 

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