21 さらに少し後で(聖文書は)言っています:「そして今、あなた方は新しい車両を作りなさい。あなた方は、まだ軛の掛けられていない乳の出る二頭の雌牛を取りなさい。そしてあなた方は、それらの雌牛を車両に繋ぎなさい。そしてあなた方は、それらの雌牛の子牛たちを引き離して家に連れ戻しなさい。そしてあなた方は、主の箱を取りなさい。そしてそれを車両の上に置きなさい。そして、あなた方が過失の代わりに捧げた金の諸々の器を車両の上に置きなさい。同時あなた方は、その車両の上に、そのすべての聖なるものを置きなさい。そしてあなた方はその車両を送り出し、行かせなさい。そしてあなた方は、もしもそれが自分の故郷に向かう道を行き、ベト・シェメシュに登っていくのを見るなら、それこそあなた方に、それらの大きな諸々の災いを作ったのだ。しかしもしもその方向に行かないなら、その手が我々に触れたのでなく、偶然によってそれらの事柄は我々に起こったことを我々は知るだろう[1]」と。

 ですからあなたは、それらの言葉の中で、どのようにして祭司たちと占い師たちが、ペリシテ人たちに起こった諸々の災いの原因――(それらは)箱に対する不敬のゆえのゆえに神の手から来たのか、それとも偶然に起こったのか――を数々の印を通して思い巡らしていたかをお考えください:もしもそれが自分の故郷に向かう道を通って、ベト・シェメシュに登っていくなら、それこそ、それらの災いを我々に対して作ったのだと、彼らは言っていました。



[1] 1S.6,7-9.

 

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