22 また、次の箇所でこう述べられています:「彼らが主の箱を車両の上に置くと、雌牛たちはベト・シェメシュに通じる道をまっすぐに進んでいった。それらは、右にも左にも逸れなかった[1]」と(聖文書は)言っています。それらの言葉を入念に検討するなら、雌牛たちの進路について予言されたその予知が、偶然の産物であるとか、何らかの術作によって作られたものであって、主の箱の力に驚嘆した悪霊たちの或る働きによって提供されたものではないと、いったい誰が言うでしょうか。悪霊たちが驚嘆した主の箱の力によって、ペリシテ人たちは打撃を受け罰せられただけでなく、悪霊たちの祭儀それ自体が破壊されました――言うまでもなく、主の箱が入るたびに、彼らの諸々の似像と諸々の神殿が壊れました。ですから、悪霊たちの提供によるそのような何らかの予知の働きが存在します。その予知の働きは、悪霊たちに身売りした者たちによって、或る諸々の術作を通して獲得されます――ある時は彼らが諸々の籤引きと命名する諸々の術作を通して、ある時は彼らが諸々の卜占と名づける諸々の術作を通して、ある時は彼らが諸々の腸占いと呼ぶ諸々の内蔵の観察から、あるいはそれらに似た何らかの諸々の誤魔化しによって、把握され理解されると考えられています。



[1] Cf.1S.6,11-12.

 

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