23 それらの術作は、人類を欺くほどにまで発展しました。その結果、正しいこと極まりなかったヒゼキヤの息子マナセでさえ、その誤りに欺かれ――()文書が言うように――主の二つの家の中で天のすべての軍勢のための祭壇を築きました[1]。そころでその天の軍勢は、パウロが「諸々の天の中に置かれた諸々の霊的な邪悪[2]」と書いているものだと、私は思います。ですから、欺きと誤りのそれらの術作の中にいなければ、あれほど偉大だった人物の息子――主の律法の内に養育された息子――が、『列王記』第四書[3]の中に次のように記載されている諸々の不敬に陥ることはあり得なかった、と私は思っています:すなわち(聖文書は)こう言っていま:「そして彼は、籤引きをし、卜占をし、生け贄を捧げ、自分の子どもたちを火の中に通し、占いの数々をたくさん行った。そのため彼は、主の諸々の目に悪いことを行い、主を怒らせた[4]」と。彼が犯した過ちはそのような物でしたが、それらについて次のように言うことができるでしょう:「それらは、一切の(悪霊の)力の内に、諸々の印と諸々の欺瞞的な奇跡において行われました[5]」と。その程度たるや、選ばれた人たちまでも欺かれるほどでした。実際、(イスラエルの)民も彼によって欺かれ、神がイスラエルの子らの前から駆逐したあの諸国の民に以上に邪悪なことを主の御前で行いました。



[1] Cf.2R.21,1-5.

[2] Ph.6,12.

[3] 『列王記』下を表している。訳者(朱門)は、直訳を心がけているが、この語については訳語が一定していない。

[4] Cf.2R.21,6.

[5] Cf.2Th.2,9.

 

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