27 神は私たちが悪霊たちの聞き手や弟子になることを望んでいません。また、私たちが何事かを学ぼうとしても、私たちが悪霊たちから学ぶことを、神は望んでいません。悪霊たちから学ぶよりも、知らない方がましです。占い師たちに伺うよりも、預言者たちから学ばない方がましです。実際、占いは、或る人たちが考えているように神に由来するものではなく、むしろ、それは悪霊に満たされた人間たちによって行われているのですから、その対句によって、すなわち反対側から名称を得ているように私には思われます[1]。ところが異教徒たちの祭儀は、任意の霊によってもたらされる一切を神的なものと見なしています。しかしながら神は、私たちが彼らから何も学ばないように命じています:それは、私たちが彼らの仲間になって、イザヤが述べている諸々の事柄の中に陥らないようにするためです:「あなたの諸々の言葉は地に落とされ、あなたの諸々の発言は、地の下に埋められる。あなたの声は、地から語る者の声のようであり、あなたの声は、塵の上で弱められだろう[2]」と(イザヤは言っています)



[1] この箇所――ルフィヌスによる敷衍が推測されるが――は、占い(diuination)が「神来」(diuinitus)のものではなく、いわば「悪霊来」(ex daemonibus)だということを意味している。

[2] Cf.Is.29,4.

 

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