28 それゆえ、主なる私たちのイエスも、悪霊たちから証を受け取ることを潔しとせず、「あなたは黙りなさい。そして、彼から出て行け[1]」と言っています。彼の使徒パウロも彼を模倣し、「痛みを覚えつつ振り返り、ピュトンの霊に言っています:『私は、イエス・キリストの名において命じます:あなたは彼女から去りなさい』と[2]」。ここであなたは、おそらく、なぜパウロは痛みを覚えて、ピュトンの霊を叱ったのか探求するでしょう。そもそも(その霊は)何か冒涜的なことを言ったのでしょうか。なぜなら、「ピュトンの霊を持っていた婦人」は、パウロと、彼とともにいた人たちについて行き、次のように叫んで言っていたからです:「それらの人間たちは、あなた方に救いの道を告げるいと高き神の僕です。そして彼女は、何日もそう言った」とあります[3]。ですから、冒涜のゆえにパウロが痛みを覚えたのでないことが示されます。むしろそれは、彼女の言葉にピュトンの霊からの証が与えられることが相応しいことではないと、彼が判断したからです。もしもパウロが、その霊によって自分に証が与えられることに耐えられず、そのことで痛みを覚えるとすれば、いわんやどれほど私たちは、痛みを覚えなければならないでしょうか――もしも私たちが、ピュトンの霊や霊媒師や占い師や易者やその他それに類する悪霊たちを、何かしら神的なものと見なして信じている人たちによって諸々の魂が、欺かれるのを見たなら。それゆえ(聖文書は)、「ヤコブの内に呪いはなく、イスラエルの内に占いはない[4]」と言っています。



[1] Mc.1,25.

[2] Ac.16,18.

[3] Cf.Ac.16,16-18.

[4] Nb.23,23.

 

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