29 しかし、それらの言葉に何が付け加えられているでしょうか。「時に応じて、ヤコブとイスラエルに、何を神が行うかが語られるだろう[1]」と(聖文書は)言っています。「時に応じて語られるだろう」とは、どういうことでしょうか。然るべきとき、有益なとき、それが。「時に応じて」ということです。ですから、私たちが将来の諸々の事柄を予知することが有益なら、それらの事柄は、神によって、神の預言者たちを通して、聖霊を通して語られるでしょう。しかしそれらが語られず、告げられもしないなら、将来の諸々の事柄を予知することは私たちにとって有益でないとことを、あなたは知るべきです。ですから、それらが私たちに語られないとすれば、それは、それらを知ることが私たちに有益でないからです。しかし、様々な術策や悪霊たちの数々の喚呼によって、将来の諸々の事柄を知ることを熱望する人は、その人にとって知ることは有益でない諸々の事柄を学ぶことを切望していることに他なりません。それに対してこの箇所では、諸々の支配と諸々の権能とこの世の支配者たちとに対して戦うすべての人がヤコブであると言われていると理解されねばなりません[2]。また、イスラエルは、信仰の純粋さと精神の清さを通して神を見るすべての人であると、あなたは理解していください[3]



[1] Nb.23,23.

[2] Cf.Ep.6,12.

[3] これは、オリゲネスが採用している「イスラエル」という語の解釈である。

 

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