30 しかし、人は次のように言うことができます:もしも私たちが将来の諸々の事柄をただ神だけから学ぶべきで、占いや卜占やその他それららに属するものを受け入れるべきでないとすれば、あのバラムその人も私たちによって受け入れられるべきではないと。なぜなら彼は、神的な判決によって受け入れられることが禁じられている人の一人だからです。しかし、あなたは、もっと注意深くなって、先ほどの箇所で私たちが何を読んだかを思い起こしてください。そこでは、彼について、主がご自分の言葉を彼の口の中に投げ入れたと言われています[1]。ですから、今、私たちは、バラムからではなく、彼の口の中に置かれた神の言葉から、それらのことを学びます。実際、もしもそれらの言葉が主のものでないなら、間違いなく主は、それらをご自分の僕モーセに啓示しなかったでしょう。それらの言葉が彼によってバラク王に言われたとき、彼は(モーセから)遠く離れて置かれていましたから、もしもそれらの言葉が神によってモーセに啓示されたのでないなら、モーセがそれらの言葉を知ることができなかったのは確実です[2]



[1] Cf.Nb.23,12,16.

[2] 訳者(朱門)が原文の意味を正しく了解せずに和訳していると揶揄されないようにするために、簡単に解説を加える:この箇所は、バラクが語る言葉が主の言葉であることを、『民数記』の著者モーセは、同じ主から啓示によって知らされたということを示している。

 

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