33 しかし、次のことは明らかに、当時存在した民についてではなく、将来の民について言われていることに、あなたはご注意ください。実際、(聖文書は)「見よ。民は、ライオンの子のように身を起こすだろう。ライオンのように飛び上がるだろう[1]」と言っています。(聖文書は)間違いなく、将来の民が飛び上がるだろうと言っています。実際、もしも(聖文書が、当時)見た民について言ったとすれば、疑いなく、「見よ。民がライオンの子のように飛び上がった」と言ったでしょう。しかし、(聖文書は)『詩編』中にも書き記されている民について言っているのは確かです:すなわち、「(諸々の天は、未来に)生まれてくる民、主がお造りった民に正義を告げるだろうだろう[2]」とあります。ですから、この民は、「生まれたばかりの幼児として、いまだに理性的で混ざり物のない乳を摂る[3]」限りでライオンの子ですが、「大人になり、幼児に属する事柄を捨てた[4]」とき、飛び上がるライオンです。



[1] Nb.23,24.

[2] Cf.Ps.22,31.

[3] 1P.2,2.

[4] 1Co.13,11.

 

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