他方、私たちが他の諸々の写本の中で読んだ読みに従って、それ、すなわち、「また彼は、人間の子のように怖じ気づかせない[1]」を受け入れるなら、人間たちが時として思い上がりによって――しかも時に、彼らが害することのできない人たちに対しても――諸々の恐怖と脅迫をする事態のことが言われているように思えます。しかし神は、罰することができない方であるかのように、人間たちを怖じ気づかせません。たとえ神が怖じ気づかせても、彼は理性によって怖じ気づかせます。実に彼が怖じ気づかせるのは、話の恐ろしさによって人間たちを矯正するためです;悪く振る舞う人が脅迫の言葉に恐れおののき、みずからを改善するためであり、彼の諸々の悪行の報いが彼に至らないようにするためです。ですから神は、人間のように怖じ気づかせません。なぜなら、いま私たちが申したように、人間は思い上がりによって脅しますが、神は改善のために脅かすからです。



[1] Nb.23,19.

 

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