民数記第十七講話

 

 私たちは、神のみ言葉がバラムを通して表明した諸々の事柄の内の第三の預言を手にしています――それについても、主が許してくださるままに、幾つかの事柄を私たちが検討するために。

実にあの不運なバラクは、神的なバラムには、呪うために、意欲よりもむしろ場所の適切さが欠けていると考え、場所を変えるようが有利であると判断しました。「彼は言います:『あなたは来なさい。もしも神に喜ばれるなら、私はあなたを別の場所に導きます。そしてあなたは、そこから彼を呪いなさい』。そしてバラクは、荒れ野に向かうペオル山の頂にそのバラムを連れて行った[1]」とあります。

一方で神は、ご自分が呼び出した人たちをシナイの山の頂に置きました[2]。他方で、神に敵対的なあのバラクは、「バラムをペオル山の頂に」置きました。ところでペオルは、歓喜と解釈されます。したがってあのバラクは、歓喜と快楽の頂に人間たちを置きました。なぜなら彼は、神の愛好者であるよりも、快楽の愛好者だからです。それで彼は、快楽の絶頂と頂に彼らを置き、彼らを神から分離しようとしました。実際、バラクは、分離と貪欲と解釈されます。そういうわけで、ペオルは荒れ野に向かっていました。すなわちそれは、不毛で神に捨てられた諸々の営みに向かっていました。



[1] Nb.23,27-28.

[2] Cf.Ex.19,2.