13 そして本当に、もしも人が、知恵の何らかの諸々の進歩を獲得し、そのような諸々の進歩においてある程度の経験を積んだなら、その人は、次のことを実際に知るでしょう:すなわち、諸々の神秘的で霊的な事柄の何らかの観照と覚知に到達すると、魂は或る天幕の中に留まるということです。しかし、彼が発見した諸々の事柄から、さらに他の事柄も探求し、他の諸々の理解に進むとき、彼は、いわば天幕をたたんで、もっと高次の諸々の事柄に向かい、そこに魂の腰掛けを据え、諸々の堅固な理解によって(その腰掛けを)固めるでしょう。

 そして、彼は、そこから再び、それら(の諸々の理解)から、他の諸々の霊的な理解を見出します。それらの理解は、疑いもなく、最初の諸々の理解の帰結として開示されます。こうして彼は、常に「諸々の前の事柄に身を伸ばし[1]」つつ、或る諸々の天幕の内に前進しているように見えます。実際、知識の火花によって燃え立った魂が[2]暇どり休憩できるときは決してありません。魂は、諸々の善き事柄からさらに善き事柄へと、より優れた諸々の事柄からさらに優れた事柄へと、常に呼び立てられています。



[1] Cf.Ph.3,13.

[2] プラトンに由来する言い回しである。正確な出典は忘れた。

 

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