14 ですから、(バラムは)、神の知恵のこの道程を、かなり意気揚々と、そして多くの美辞麗句を添えて描写し、言っています:「うっそうと茂る諸々の森のように、諸々の川に沿う諸々の庭園のように、主が設置した諸々の天幕のように、諸々の水のほとりの諸々の杉のように[1]」と。実際、その路を進む人たちは、「うっそうと茂る諸々の森」と通って進みます。実際、「うっそうと茂る諸々の森」は、彼らにとって、義人たちのすべての集まりであり、聖なる預言者たちの合唱隊です。彼らの諸々の魂は、彼らの諸々の書物の下に見出す諸々の意味の陰の下で涼み、彼らの諸々の教えの中をいわば前進しつつ諸々の木陰に喜びます。彼らは、「諸々の川に沿う諸々の庭園」を見出します。それらは、「命の木」があるあの楽園に似ており同類です[2]。真に私たちは、諸々の福音的な文書と諸々の使徒的な文書を諸々の川と見なすことができますし、その種の諸々の魂に対するみ使いたちと天的な諸力の諸々の支援も諸々の川と見なすことができます。(それらの魂は)、水を注がれ(水に)浸され養われ、天的な諸々の事柄の一切の知識と覚知とに導かれます。もちろん私たちの救い主も、「神の都を喜ばせる[3]」川であり、聖霊もそれ自身が川であるばかりでなく、聖霊が与えられた人たちにとっては、「彼らの腹から流れ出る諸々の流水[4]」です。父なる神も,「彼らは、生ける水の源である私を捨てた[5]」と言っています。すなわち、この泉から、それらの「諸々の流水が流れ出てくる」のです。



[1] Nb.24,5-6.

[2] Cf.Gn.4,22; Ap.2,7.

[3] Ps.46,5.

[4] Jn.7,38.

[5] Jr.2,13.

 

次へ