16 さらに、(この箇所は[1])別の仕方でも理解されます:すなわち、キリストによって諸国の民から集められた信仰ある完成な民の諸々の身体と諸々の魂が同時に賞賛されているように見えます。また、諸々の身体についてヤコブの家が語られています。実際、或る小著[2]の中で、「ヤコブはイスラエルの家である」、すなわち、ヤコブはイスラエルの身体であり、イスラエルはヤコブの魂であると言われています。ですから、完成な人たちの諸々の身体も、同じように、賞賛すべき諸々の家であると言われるでしょう。実際、ヤコブは、賞賛すべき身体です。なぜなら彼は、純潔と貞潔によって、そして時には殉教によって飾られているからです。他方、完全な諸々の魂には、諸々の天幕を帰すことができるでしょう。なぜならそれらの魂には、神を見るゆえに、イスラエルという名前がまさに適切だからです。



[1] Nb.24,5-6.

[2] 委細不明。

 

次へ