17 ところでそれらの天幕は、「うっそうと茂る諸々の森のように、諸々の川に沿う諸々の庭園のように、主が設置した諸々の天幕のように[1]」と(聖文書は)言っています。したがって(聖文書は)、イスラエルの諸々の天幕に類比する別の諸々の天幕が、主によって設置されて存在することを明示しています。主が設置した諸々の天幕がどのようなものであるかを私が見るには、私がこの世から前進するのが適切です。疑いもなくそれらは、モーセが荒れ野の中に天幕を建設するときに、主が彼に明示したものです。主は彼にこう言っています:「見よ。あなたは、山の中であなたに明示された典型に従って、すべてを作りなさい[2]」。ですから、主が設置したそれらの天幕に倣って、イスラエルは自分の天幕を作らなければなりません。そして私たちのひとり一人も、各自の天幕を準備し、制作しなければなりません。ですから、ペトロとアンデレとゼベダイの(二人の)息子たちが漁師を生業としており[3]、パウロが諸々の天幕の制作者であったことは[4]、偶然であったと私には思えません。実に彼らは招かれると、諸々の魚を捕る生業から変わって、人間たちの漁師になりました。主は彼らに言っています:「あなた方は、私の後について来なさい。私はあなた方を人間たちの漁師にしよう[5]」と言っています。それゆえ、パウロも、彼自身が主なる私のイエス・キリストによって「使徒として呼ばれた[6]」のですから、自分の生業の同様の変容によって変わったのは疑いありません。すなわち彼らが、魚たちの漁師から人間たちの漁師になったのと同じように、彼も、地上の諸々の天幕を作ることから、天の諸々の天幕を作ることへ移されたました。

 実際、彼は、天の諸々の天幕を建設して、ひとり一人に救いの道を教え、諸々の天における至福に満ちた住居の道を明示しました。実にパウロは、「エルサレムからイリリコンまで巡り、諸々の教会を建設することによって、神の福音を行き渡らせた[7]」とき、諸々の天幕を作りました。そして彼自身も、そのような仕方で、「神が山の中でモーセに明示した」天の諸々の天幕に倣って、諸々の天幕を作りました。



[1] Cf.Nb.24,6.

[2] Ex.25,40.

[3] Cf.Mt.4,18-21.

[4] Cf.Ac.18,3.

[5] Mt.4,19.

[6] Rm.1,1.

[7] Rm.15,19.

 

次へ