19 さらにそれらの天幕は、「諸々の水のほとりの諸々の杉のようでもあります[1]」。ここで(聖文書は)、咎めるべき高慢が見出されるあの諸々の杉を言っているのではありません[2]。それらは、「エジプトから運び出されたぶどうの木の諸々の枝」を支え、実り――その「影は諸々の山を覆った[3]」がその内に安らうところの神の諸々の杉を言っています。もしもあなたが、知恵の旅路がどれほど大きな安らぎを持っているか、どれほど大きな恵み、どれほど大きな甘美さを持っているかを理解するなら、無視したり無関心になりたいと思ってはいけません。むしろこの旅路を歩むべきで、荒れ地の孤独に恐れおののいてはなりません。あなたがそのような諸々の天幕の内に住むなら、あなたはに天のマナが現れて、あなたは「み使いたちのパンを食べるでしょう[4]」。あなたは、ただ(歩み)始めてください。既に申したように、あなたは荒れ野の孤独を畏れるべきではありません。すぐにみ使いたちがあなたを支えにやってくるでしょう。み使いたちは、諸々の杉の姿の許に示されていると、私は思っています。



[1] Nb.24,6.

[2] Cf.Ps.37,35.

[3] Cf.Ps.80,9-11.

[4] Cf.Ps.78,25.

 

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