22 キリストについてはさらに、次のように書かれています:「神は彼をエジプトから導き出した[1]」と。そのことは、ヘロデの死後、彼がエジプトから呼び戻されたことにおいて成就されたように見えます。福音も、次のように言ってそのことを示しています:「私は、エジプトから私の子を呼び戻した[2]」と。ある人とたちにとってその言葉は、この箇所から取られ、諸々の福音に挿入されたように考えられていますが、他の人たちにとってそれは、ホセアの預言から取られたように考えられています[3]。しかし、比喩的(解釈)に従っても、それを理解することができます。すなわち、彼がこの世のエジプトに来た後で、御父は彼を導き出し、ご自分の許に引き取ったこの世のエジプトから神のみ許に昇ろうとする者たちのために道を作るために。

 「そして(彼をエジプトから導き出した神は)、彼にとって一角獣の栄光のようである[4]」とあります。キリストは、悪霊たちのすべての国を退けて、ご自分の唯一の国を真の一角獣の栄光の内に設置しました。実際、私たちは、角が国の代わりに使われるとしばしば教えました。(バラムは)彼について語り、さらに次のように言っています:「彼は、ご自分の敵たちの諸国の民を食い尽くし、彼らの諸々の鈍重さを解消するだろう[5]」。彼の敵たちが所有していた諸国の民を、彼は敵対的な力を破壊することによって食い尽くし、彼らの諸々の鈍重さを解消するだろうと(バラムは)言っています――(彼が)それらに関する一切の鈍重で肉的な意味を軽量化し、霊的な理解に差し向けているなら。ところでこの鈍重さは、諸々の()文書の中では罪に値するものと見なされています。次のように書かれていることがその証拠になるでしょう:「この民の心は鈍重になった[6]」。また他の箇所では、「愛されている人は、満腹した。そして鈍重になり、蹴り返した[7]」とあります。



[1] Nb.24,8.

[2] Mt.2,15.

[3] Cf.Os.11,1.

[4] Nb.24,8.

[5] Nb.24,8.

[6] Ac.28,27.

[7] Dt.32,15.

 

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