23 ですから彼は、諸国の民を食い尽くすでしょう[1]。彼は、ご自分を信じる人たちを食べ物として持ちます。それは、彼自身が福音の中で次のように言っているとおりです:「私の食べ物は、私をお遣わしになった方の意思を行うことである[2]」と。言うまでもなく、その方の意思とは、諸国の民が信仰に回心することでした。ところで、上で私たちが教えたように、鈍重さが罪に値するものと見なされるなら、反対に、軽妙さは賞賛に値するものと見なされるべきです。なぜなら、「可知的で聖なるもので、独一で、多様であると言われる知恵の霊も、同じように、軽妙である[3]」と示されているからです。

 「そして彼は、彼の諸々の矢によって敵を刺すだろう[4]」とあります。彼の諸々の矢は、彼の諸々の言葉です。彼はそれらの言葉によって打ち破りました。また、今でも彼は、それらによって、すべての敵たちと彼に反対する者たちとを圧倒し、突き刺しています。なぜなら罪を犯す人は皆、罪を犯している限り、彼の敵だからです。しかし、もしも彼が神の諸々のの言葉を聞き、自分の諸々の罪を認め、それらによって突き刺されて痛恨し、悔い改めに向かうなら、真理の言葉によって穿たれた彼も、その諸々の矢によって突き刺されたと言われるでしょう。



[1] Cf. Nb.24,8.

[2] Jn.4,34.

[3] Cf.Sg.7,22.

[4] Nb.24,8.

 

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