12 それらは、七十人訳の諸々の写本の中に訳されたものです。しかし私は、ヘブライ人たちの諸々の写本の中に何かしらもっと鮮烈なものを見出しました。私たちは、それらの写本を使ってはいませんが、(内容を)知るために、そこに書かれている事柄を申し上げることにしましょう[1]:「神は、一切の文芸的な知恵における理解と思慮を彼らに与えた。そしてダニエルは、一切の幻と諸々の夢とにおいて理解力を得た[2]」と(聖文書は)言っています。そして少し後で(聖文書は)言っています:「そして、彼らは王の前に立った。そして、王が彼らに尋ねた知恵と技能との一切の言葉において、彼らが、彼の王国全土の中にいるすべての占い師たちや魔法使いたちに十倍も優っていることを、王は見出した[3]」と。

 それらすべてから、他ならぬバラムがどのような意味で自分自身について、「至高者の知識をしている者[4]」と言っているかが理解されます。すなわちそれは、次のことが理解されるためでした:一切の知識の源は、至高者から端緒を受け取っている;しかし、人間的な悪徳によって、さらには悪霊たちが鼓吹しそそのかしたために、有益なことのために与えられた諸々の事柄が破滅に向けられてしまったと。「至高者の知識を知っている者」と彼が言ったことについて、以上のことを、私たちは力を尽くして検討しました。



[1] 直訳は、「私たちがそこに読む諸々の事柄も言うことにしましょう」となるが、訳者(朱門)はさすがにそれを意訳した。

[2] Dn.1,17.

[3] Dn.1,20.

[4] Nb.24,16.

 

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