また、(バラムが)キリストについて、続く諸々の箇所で次のように付け加えて言っている預言、すなわち、「ヤコブから星が昇るだろう。そして、イスラエルから人間が立ち上がり、モアブの君たちを追い散らすだろう[1]」という預言も、もしも「さあ、私はあなたに預言する」という言葉が書き記されていれば、適切に置かれていると思われるでしょう。しかし今、私たちは、このように書かれていることに対して何と言いましょうか。「さあ、私はあなたに忠告を与える。この民が、終わりの日々に、あなたの民に何をするかを[2]」と。そこで私たちは、「私はあなたに忠告を与える」と書かれていることがどのように理解されるべきかを探求しましょう。

 私は、私はそのことについてしばしば探求しましたが、彼が「私はあなたに忠告を与える」と言っていることを、一般的な普通の仕方で言われていると私たちが考えるなら、私はいかなる結論も見出すことができませんでした。しかし、「私はあなたに忠告を与える」と言っていることは、次のようにい言っていると理解されるなら一層(その場に)適切になると私には思われました:すなわち、終わりの日々に成し遂げられる神的な忠告が、いま私に啓示された;私はそれをあなたに開示し、明示する;それは、「この民があなたの民に何をするか」をあなたが知るためである、と。私はあなたに忠告を与える。この民があなたの民に何をするかを」と彼が言っていることは、そのようにして、すなわち「私はあなたに神の忠告を告げ、明示する」とすることによって、しっくりし得ると私には思われました。



[1] Nb.14,17.

[2] Nb.24,14.

 

次へ