12 ですから、前出の諸々の幻の中で書き記されていたように、「真実に見、神の諸々の言葉を聞く人間――至高者の諸々のたとえ話を受け入れるとことによって、至高者の知識を知り、神の諸々の幻を見るもの――であるベオルの子バラム[1]」は、このアマレクを見て、次のように言っています:「アマレクは、諸国の民の始まりである。そして、彼らの種は滅びるだろう[2]」と。「諸国の民の始まりはアマレクである」と彼が言っていることは、当時の肉においてアマレクだった人に当てはめ得るものでは決してなく――実際、彼はその古さの起源において、最初でもありませんでした――、不可視的なアマレクにもっとよく当てはめられるのは確実です。なぜなら彼は、諸々の民を神から逸らせ、神の崇拝者たちから異邦人を作ることによってアマレクと命名されるからです。それゆえ彼は、正しくも、異邦人たちの始めと言われます――あたかも彼が、「神の不滅の栄光を、人間と鳥たちと四足獣たちと這うものたちという滅びる姿の似像に変え[3]」、「神よりもむしろ被造物に仕える[4]」ことによって、人間たちを異邦人にする始まりを最初に与えた或る敵対的な力であるかのように。実際、神の民において「始まりはキリスト[5]」であるのとはちょうど反対に、神から逸れて異邦人になる民において「始まり」はアマレクです。



[1] Nb,24,15-16.

[2] Nb.24,20.

[3] Rm.1,23.

[4] Rm.1,25.

[5] Cf.1Co.11,3; 15,23.

 

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