17 しかしこの後でバラムは、自分の預言の言葉を、次の諸々の言葉の内に結んで言います:「そして彼は、自分のたとえ話を受け取って、言った:『おお、神がそれらの事柄をしたとき、誰が生きているだろうか。そして彼は、キティム人たちの諸々の手から出てくるだろう。そして彼らは、アシュルを打ちのめすだろう。そして彼らは、ヘブライ人たちを打ちのめすだろう。そして彼らもまた、同じように滅びるだろう』[1]」と。バラムがその都度たとえ話を通して語っていると言われていることは、読者に戸惑いを引き起こします:すなわち(読者は)、言われている諸々の事柄の中の或る事柄は、いわばたとえ話の内にでなく、文字に従って言われているのではないかと考えます。

そこで彼は言います:「おお、神がそれらの事柄をしたとき、誰が生きているだろうか[2]」と。ここで彼は、共通の生活ではなく、神に即した生活を名指しています。そして、彼の言っていることは次のことです:それらすべての事柄が起こすとき、「ヤコブから星が昇り、そしてイスラエルから人間が立ち上がり、アマレクを抹消し、彼の種を滅ぼすとき[3]」、すなわち、キリストが来臨して、諸々の偶像の崇拝を破壊して、すべての悪霊たちの権能を屈服させるとき、誰が、それらの事柄を見るほど至福で幸運でしょうか。すなわち、神がそれらのことをそのように行うのだということを、誰が気づき、理解し、信じるでしょうか。



[1] Nb.24,23-24.

[2] Nb.24,23.

[3] Nb.24,17.

 

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