19 「そして彼らは、ヘブライ人たちを打ちのめすだろう。そして彼らもまた、同じように滅びるだろう[1]」とあります。ヘブライ人たちは、「過ぎ越す人たち」と解釈されます。ですから、この民そのものが、ヘブライ人と言われます。なぜならその民は、エジプトから約束の土地へ、「諸々の闇から光へ[2]」、「死から命へ[3]」と過ぎ越すからです。しかし、私たちが申し上げましたように、(この民は)、戦いなしに、大きな戦闘なしに、それらのものを獲得することはできないでしょう。(この民は)、戦いの内に置かれていて、ある時は打ちのめし、ある時は打ちのめされ、ある時は敵を打ち倒し、ある時は(その民)自身が敵によって打たれます。ですから、彼らがアッシリア人たちによって打ちのめされるように、アッシリア人たちは、ヘブライ人たちを、すなわち神の民を打ちのめします。しかし彼ら、すなわち、アッシリア人たちは、それらのことを行い、ヘブライ人たちを打ちのめすことに自分たちのすべての力を注いだとき、彼らも直ちに滅びるでしょう。ですから、(バラムが)「そして彼らは、ヘブライ人たちを打ちのめすだろう。そして彼らもまた、同じように滅びるだろう[4]」と言っていることは、「ヘブライ人たちが滅びるとき、同じようにアッシリア人たちも滅びるだろう」というように受け取られるべきではありません。むしろ、「同じように」、すなわち、彼らがヘブライ人たちを打ちのめすためにそれらの事柄を行うと「直ちに」、彼らも滅びるだろう、というように受け取られるべきです。実際、ギリシア語は、「同じように」という言葉を、「直ちに」の代わりに(ここに)置いています[5]



[1] Nb.24,24.

[2] Ac.26,18.

[3] Jn.5,24.

[4] Nb.24,24.

[5] 訳者(朱門)は、直訳している。この文末は、意訳すると、「〜の代わりに使っている」ということになる。

 

次へ