しかし私たちは、アマレクに関する最初の言及に戻りましょう。そこでは、「戻ってきて、カデシュと呼ばれる裁きの泉に向かった人たちは、アマレクのすべての君たちを殺害した[1]」とあります。実際、カデシュは、「聖化」ないしは「聖なるもの」と解釈されます。他方、アマレクは、「民をなめ尽くすもの」あるいは「民を逸らせるもの」と解釈されます。したがって、聖なるもの戻り、聖化へとみずからを向き変える人たちが、アマレクを、すなわち、民をなめ尽くしたり、民を逸らせるものを殺害し、抹殺します。しかし、民を神から逸らせるものは、敵対する力と諸々の霊的な邪悪でなければ、他に誰がいるでしょうか。では、彼らの君たちは、誰でしょうか。彼らは疑いもなく、聖なる者たちが格闘している諸々の支配(の霊)です。実際、諸々の支配と諸々の権能とこの世界の支配者たちに対する諸々の戦闘が聖なる人たちにはあります[2]。しかし聖なる人たちは、聖性に向き変わるのでなければ、彼らを凌駕することはできないでしょう。



[1] Gn.14,7.

[2] Cf.Ep.6,12.

 

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