あなたは、司祭職に携わり、司祭の位階[秩序]を誇りにしている人たちが、「みずからの秩序に従って進み[1]」、その位階[秩序]に相応しい事柄をすべて行っていると思いますか。同様に助祭も、その奉仕職の秩序に従って進んでいると、あなたは思いますか。人々が次のように言って罵るのを私たちがしばしば聞くのは、何故でしょうか。「見ろ、なんという司教だ!なんという司祭だ!あるいは、なんという助祭だ!」と。そのように言われるのは、司祭や神の奉仕者が、何らかの点でその秩序に背き、司祭の秩序[位階]やレビの秩序[位階]に反する事柄を行っているのを目撃された場合ではないでしょうか。乙女たちや節制者たち、宗教の誓願をしたすべての人たちについて、私は何を言うべきでしょうか[2]。もしも彼らが、何か生意気で慎みのないことや、何か厚かましいことを行ったなら、モーセは、ただちに彼らを叱責し、次のように言うでしょう。「人は、自分の秩序に従って進まなければならない[3]」と。したがって人はそれぞれ、各自の秩序を知るべきであり、各自が受けた秩序に相応しいことはどんなことであるかを理解しなければなりません。こうして各自の諸々の行いを平衡に保ち、言葉と歩みと着こなしとに慎みを与えなければなりません。そうすれば人は、各自の位階[秩序]の誓願に相応しくなり、神から次のように言われなくなるでしょう。「あなた方のせいで、私の名は、異邦の人たちの間で罵られている[4]」と。



[1] Nb.2,2.

[2] Quid autem et de virginibus dicam aut de continentibus vel omnibus qui in professione religionis videntur ? 「修道女たちや修道士たち、修道誓願の内にあるすべての人たちについては、私は何を言うべきでしょうか」と訳せるかもしれない。

[3] Nb.2,2.

[4] Rm.2,24.

 

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