「各自の諸々の家族の家ごとに[1]」と(モーセ)は言っています。ギリシア語では、使徒が次のように言う個所で使っているのと同じ言葉が使われています[2]。すなわち、「このことの故に、私は、私たちの主・イエス・キリストの父のみ許で両膝をかがめます。天と地にある一切の父方の家族は、イエス・キリストの父にちなんで名づけられます[3]。ですから、ここで、パウロが「父方の家族」と言っているものに、ラテン語の翻訳者[4]は、「諸々の家族」という言葉を当てていますが、ギリシア語では一つの同じ言葉が使われています[5]

 ですから、パウロが諸々の天に(ある)と明示するそれらの「父方の諸々の家族」や「諸々の家族[6]」を、モーセは、律法に関わる数々の象徴の下に、諸々の地において述べています。モーセは、私たちがそれらの象徴に従って進み、天にある父方の諸々の家に結ばれるように勧告しています。上でパウロが言明したように、「諸々の家族」とか「父方の諸々の家」と呼ばれるべきものが、天に存在します。その中には、おそらく、同じパウロが他の個所で「諸々の天の中に登記された、長子たちの教会[7]」と名づけたものも含まれます。もしも私たちが、「秩序に従って進み[8]」、「すべてを秩序に従って行う[9]」なら、私たちはその教会に結ばれることになるでしょう。もしも私たちの内に、無秩序や喧騒や恥辱がまったく見出されないなら、そのとき私たちは、「天蓋のように輝くでしょう[10]」。私たちは、諸々の星のように、「太陽」そのもののように、父のみ国で、私たちの主キリストをとおして「輝くでしょう[11]」。私たちの主キリストに、「栄光と力が代々にありますように。アーメン[12]」。



[1] Nb.2,2.

[2] 民数記』(おそらく七十人訳ギリシア語聖書)とパウロ書簡にには、patri,a (父方の家族)という同じギリシア語が使われているということを意味する。

[3] Ep.3,14-15.

[4] latinus interpres: この民数記講話を約しているルフィヌスではなく、旧約聖書の翻訳者(おそらくヒエロニムス)を暗示している。

[5] ギリシア語のpatri,aという同一の語に対し、familiae(諸々の家族)paternitas(父方の家族)という二つラテン語があてられている。

[6] paternitates vel familiae

[7] He.12,23.

[8] Nb.2,2.

[9] 1Co.14,40.

[10] Dn.12,3.

[11] Sr.50,7.

[12] 1P.4,11.

 

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