10 さて、私たちは、『詩編』の中にそのことに関して次のように書かれているのを見出します:「バビロンの哀れな娘よ、あなたが私たちに行った仕打ちをあなたに仕返す者は、幸い。あなたの幼子たちを捕らえて、岩に投げつける者は幸い[1]」と。私たちの中に生まれたこのバビロニアの胎児がまだ何らかの業を行わなくても、まだそれが「幼子」の内に、あなたは彼を憐れむべきでなく、惜しむべきでなく、直ちに殺しなさい。なぜなら彼は、憎まれるべき者だからです。あなたは、滅ぼしなさい、「岩にたたきつけて」殺害しなさい[2]。ところで、「岩はキリストです[3]」。したがって、以下のようなことをするほど偉大な人が誰かいるでしょうか――自分の中でバビロニアの子孫が大きくなるまで決して待たず、自分の内で混乱の諸々の業を増大させず、むしろ、それらが意欲の諸々の動きから生まれて増大し始めるまさにその最初の諸々の瞬間に、そして、邪悪な霊の鼓吹によって孕んだ有害な諸々の欲望が、いわば魂の子宮から頭を出し始めるまさにその最初の諸々の瞬間に、(それらを)直ぐに捕まえ、「岩にたたきつけ」、すなわち、キリストの許に連れていき、彼の戦慄すべき裁きの前に置いて衰弱させ滅ぼすほどに。



[1] Ps.136,8-9.

[2] Cf.Com.Jos.XV,3; C.Celse,VII,22.

[3] 1Co.10,4.

 

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