14 ですから「民は、彼らの諸々の生け贄から食べ、彼らの諸々の偶像を拝みました[1]」。彼らは、「食べた」ばかりでなく、「拝み」もしました。あなたは、悪の順番をご覧ください。最初に色欲が主の僕たちを欺きました。それから胃袋の欲が、最後に不信心が彼らを捕らえました。ところで姦淫は、不信心の報いとして支払われます。もしもあなたがソロモンについて書かれた諸々の事柄を読み返すなら、あなたは彼が、もっとも賢明であるにもかかわらず[2]、「女性たちに自分の脇腹を横たえた[3]」のを見出すでしょう――神の律法が、「あなたは自分のために婦人たちを増やしてはならない――彼女らがあなたを誘惑して神から話すことのないように[4]」と言っているにもかかわらず。ですから彼は、もっとも賢明であり、神の許で諸々の功績は著しく大きかったにもかかわらず[5]、多くの婦人たちにみずからを渡したので[6]、欺かれました。私としては、諸国の多くの民の様々な哲学の多くの教説が多くの婦人たちとして名づけられていると思います。彼は、もっとも博識でもっとも賢明な人物として、それらを一つひとつ覚知し究めることを望んだため、神的な律法の内部に自分自身を保持することができ、モアブ的哲学が彼を欺き、モアブ的な偶像に――そして同じように、アンモン人たちの偶像や他の異邦人たちの偶像にも――生け贄を献げるように説得しました。彼(ソロモン)は、彼らの婦人たちを受け入れ、彼女たちの諸々の偶像のために神殿を建てたり、生け贄を献げたり下と言われているのです[7]。ですから、多くの教説を多くの婦人に見立てて交わりつつも、真理の規則から外れずに一貫して次のように言うことは、神の大きな業、本当に大きな業なのです:すなわち、「王妃が六十人、側女が八十人、そして数知れない少女たちがいます。しかし、私の鳩、私の完全な娘はただ一人、その母の一人娘、その産みの親の一人娘[8]」とあります。



[1] Nb.25,2.

[2] Cf.1R.5,10.

[3] Si.47,19.

[4] Cf.Dt.17,17; 1R.11,2.

[5] Cf.1R.5,10; 10,24.

[6] Cf.1R.11,1.

[7] Cf.1R.11,7-8.

[8] Ct.8-9.

 

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