18 さらに、そのことにおいて私は、驚愕させる神秘の驚きによって揺り動かされます:すなわち、神は、ご自分のみ使いたちが私たちのために責められたり、やり込められたりするのを堪え忍ぶほど、私たちのための神の配慮は大きいと。実際、少年が教育者に委ねられるとき、もしも彼が、あまり相応しくなく、父親の高貴さにも則さない諸々の訓育に浸されたことが明らかになれば、(その)咎は、直ちに教育者に帰されます。そして少年は、父によって、教育者と同じくらい非難されることはありません。ただし、少年が頑なで、教育者の諸々の忠告を軽蔑したり、放蕩に傾いて生意気で、教育者の救いをもたらす諸々の言葉を軽視して、贅沢を勧め放蕩へと駆り立てる人たちに従うなら、そうではありませんが。

そしてあなたは、彼の魂に何が起こるかを、預言者の諸々の声によって学んでください:「シオンの娘は、ぶどう園の天幕のよう。きゅうり畑の中の見張り小屋のよう、荒らされた町のよう[1]」。そしてまた、「その石垣は取り除かれるだろう。そしてそれは踏みつけられるだろう。道を過ぎ越す人たちは皆、それを略奪するだろう[2]」。そして、「独特の野獣がそれを食い荒らす[3]」と。(その少年の魂は)、自分の救いのために任命されたみ使いの諸々の忠告を頼りにしないなら、それらのことを被るでしょう。実に魂は、自分自身の決定者であり、自分の望む方向に逸れることは、魂にとって自由です。そういうわけですから、神の裁きは正しいです。なぜなら魂は、自分の自発性によって、善き忠告者たちにであれ、最悪の忠告者たちにであれ従うからです。



[1] Is.1,8.

[2] Is.5,5.

[3] Ps.14.

 

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