しかし、もしも不幸な魂が、神的なみ言葉との数々の聖なる交わりを捨て去り、数々の不貞な抱擁の中に――悪魔と他の悪霊たちの諸々の誘惑によって欺かれて――みずからを渡したなら、その魂は、疑いもなくそれによって子どもたちを生むでしょう。しかしそれらの子どもたちについて、次のように書かれています:「しかし、諸々の姦淫の子どもたちは、不完全のままだろう。そして、不義の同衾に由来する種は絶たれるだろう[1]」と。ですから、すべての罪は姦淫の子どもたちであり、姦通の子どもたちです。

 ここから、次のことが示されます:すなわち私たちの魂は、私たちが行う一つひとつ事柄を通して諸々の子どもたちを、すなわち諸々の考えと、それが行う諸々の業を出産し生み出します。そして、それが行うことが律法に則し、神のみ言葉に即していれば、それは救いの霊を出産し、それゆえに、「子どもたちの出産によって救わるでしょう[2]」。しかも彼らは、預言者が次のように言っている子どもたちです:「あなたの子どもたちは、あなたの食卓の周りの中にいる諸々のオリーブの若木のようである[3]」と。しかし、もしもそれが行うことが律法に反しており罪であれば、疑いもなくそれは、敵対する霊の懐妊によって邪悪の子孫を生みます。なぜならそれは、罪の子どもたちを生むからです。そして彼らは、彼らの中には、聖なる人たちの幾人かによって「彼らが生まれた日は呪われる[4]」とまで言われる呪われた世代の人たちです。



[1] Sg.3,16.

[2] Cf.1Tm.2,15.

[3] Ps.127,3.

[4] Cf.Jb.3,1; Jr.20,14.

 

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